「子どもの発達とメディア・テレビを絵本にかえて」

 読書を通じて親子・友だち・先生・地域の方とのコミュニケーションの輪が広がることを願い、図書館では「読み聞かせボランティア講座」を11月19日(日)に3部構成で開催しました。第一部では、東松島市図書館読み聞かせボランティアのおはなしのはなたばによるおはなし会。第二部では「子どもの発達とメディア・絵本にかえて」と題した小児科医長田澤雄作先生による講演。第三部では「絵本が育てる子どもの感性」と題して読み聞かせボランティアのメンバーによるパネルディスカッションを行いました。ここでは、第二部の講演会のポイントと第三部の話題提供の部分を紹介します。尚、家庭の諸事情で当日急遽、話題提供ができなかった阿部悦子さんの発表予定原稿をこの場を借りてお知らせします。

主催:東松島市教育委員会・東松島市図書館
主管:東松島市図書館読み聞かせボランティアおはなしのはなたば

東松島市教育委員会
佐々木寛教育長の挨拶

講師:田澤雄作先生

 第二部 講演会 「子どもの発達とメディア テレビを絵本にかえて」

独立行政法人国立病院機構仙台医療センター:小児科医長 田澤雄作先生 

 先ほどのおはなし会を聞いてみなさんは心(脳)に何を思い浮かべたでしょうか。
 子どもの脳(心)の成長過程において、絵本・すばなしなどのおはなしは、人間の生の声・息づかいがあり、聞き手の脳(心)に映像を作りだす効果があります。対して、テレビやゲームの世界は一方的な光の点滅と、単なる電子映像にしか過ぎません。本来人間が、人間として成長し発達していくべき脳(前前頭葉:脳の前面にあり、笑顔・言語・感性の場でありこの脳は蛇や蛙にはありません。よって、蛇や蛙は笑うことがでません。更には、注意力・記銘力・判断力の場でもあり、この力が落ちれば学力低下となります。)を停止状態とします。これを繰り返していくことは、痴呆と同じ状態となります。例えば、12歳までに1日4時間テレビやゲームをした場合“ちりが積もれば山となる”で、起きている時間の4分の1は、思考の停止となり、12歳までに3年間は脳の成長が停止状態となり、現実世界の体験機会を失うこととなります。
 更には非現実体験である、テレビやゲームなどの電子機器から受ける興奮や緊張の連続はストレスにしかなりません。一方で、読書などの半現実体験、自然体験などから得られる現実体験は感動へと移行し心(脳)の成長にとって良い影響をもたらします。残念ながら、この15年間で「キレル」「ムカつく」「笑わない赤ちゃん」という社会的現象が急増しています。そして、子どもの成長については昔から「三つ子の魂百まで」と言われていることが医学的にも証明ができました。
 これらのことを考えて、大人は子どもの健やかな成長の為に責任を持った行動を取ることが望まれます。そのためにも、規則正しい生活と充分な睡眠。子どもの顔を見て話す親子のコミュニケーションなどの現実体験。情緒や感性を育むことに効果的である、絵本などの読み聞かせは子どもの心(脳)の成長にとっては欠かせません。物が豊かな現代だからこそ、そんな素朴なことがとても大切で、必要とされています。

 第一部 おはなし会
 図書館・市内小学校・保育所幼稚園で行われている、おはなし会をおはなしのはなたばが第一部で実演!

 第三部 パネルディスカッション「絵本が育てる感性」

東松島市図書館読み聞かせボランティアおはなしのはなたばメンバーから

 〈宮本幸子さん〉
 私自身じきに70歳を迎えるのですが、昔あったものを思い出す時、溢れる自然と、とっぷり日が暮れるまで、いわゆる路地裏で近所のお兄ちゃんお姉ちゃんたちと群れをなして遊びほうけた記憶があります。
 さて、わらべうたには、リズムがあり、うたがあり、言葉がありますので、乳幼児が仮に他のおもちゃで遊んでいても、耳には届いており、耳が育っているように思います。そして、遊びながら人と人のつながりやぬくもりを確かめ合えるのではないでしょうか。
 保育園に出向くことがありましたので、いくつかの体験をお話をさせていただきます。3ヶ月になる初対面の赤ちゃんに20Cmくらいの近さであやしていたら、その内にニコッーと笑顔になり手や足をばたばたさせて反応させてくれたことがあります。0歳さんには、小道具を使ってわらべうたをしても、道具は見ていません。唄ったり、となえたりする人の顔、特に口元をジーとみているナと感じます。「ねんねんよう、おころりよ」と赤ちゃんと30Cmの距離で子守唄をうたえば、そこには、大人と赤ちゃんという人と人が生の声でしっかり見つめ合っています。赤ちゃんの方から反応があって「あぷー」なんていうとすぐ大人が「あぷー」と同じように応えてあげる。意味は分からなくても体全体で相手をしてくれる雰囲気を感じ、受け止め、そこに自分を守ってくれる大人がいる安心感を感じ、そこのことで、機械音より人が好きな子が育つのではないでしょうか。そこが原点に感じます。
 1歳さんは、まだお友だちと手をつないで動く遊びはできませんが、大人と1対1で楽しめます。「お船がぎっちらこぎっちらこ」などをやると、とても楽しめます。相手をしていもらえるうれしさがあるからだと思います。また「なこうかとぼうか、なこうかとぼうか、ひっとベー」といったゆすり遊びは2歳・3歳さんも喜び、わらべうたに入ってこない、多動でことばのでないS君が何か一つでも楽しめるものがないかなと、タオルケットに乗せて、保育士と二人でゆすってあげたところ、思いがけずキャッキャッと声を上げて喜び、私が帰った後もタオルケットを持ってきて、やれとせがまれているとこのことでした。
 ある時、、保育園でのことですが、わらべうた遊びが終わった後、担任の保育士が「じゃあ、これからお散歩に行きまーす」と呼びかけたとたん、出口に向かって皆が突進。出口が狭かったので、そこで大騒ぎの大喧嘩になりました。その時、保育士が近づいて行き座って、さっきうたったばかりの「しろきやの おこまさんをー」と静にうたいだしたら、スッーと静になり、その変化は見事という他にはありませんでした。わらべうたが持っている力のようなものを感じた瞬間でした。
 またある時、いつもいつも子どもを怒ってばかりのお母さんが、1枚のハンカチの上に人形を乗せて静に「あんまん だーぶり」と静にゆっくり揺らすうちに、お母さんの顔が段々やわらかくなり、終わる頃には子どもを抱っこして、笑っている姿を見た時には、私自身も思わず和みました。
 11ヶ月の子3人に「ずくぼんじょ ずくぼんじょ」とうたった時、ケラケラケラと3人とも笑ってくれて、うたい手の私も楽しくなって何回も同じことを繰り返し、短い時間ですが楽しい時を共有したこともあります。共感する大切さを想います。
 先程「たこたこあがれ」をした時、皆さんには青空に上がる凧が見えたでしょうか。わらべうたで育つことでイメージする力が育ち、やがて想像力がなくては入れない本を読む力、おはなしを聴く力、考える力、更に生きる力へつながっていくように感じています。

〈松川淳子さん〉
 私が、はなたばでこうしてお手伝いをさせていただいたり、子どもたちに絵本を読んだりおはなしをするきっかけは、やはり、自分の子どもたちと子育てをしながら巡り会えた方々のおかげだと想います。
 もともと、、子どものころから本が大好きでしたから、自分の子どもにも本が好きな子になって欲しいなあと思って、長女が生まれたときに絵本を買い始めました。赤ちゃんの頃から絵本を読んであげると本が好きになるよという話も聞いて、一生懸命読んであげました。そして、仕事を中座してわが子に向き合った頃、子どもを通わせていた自宅近くの幼稚園で文庫活動に触れました。園長先生のお考えで、本当によい絵本がたくさんありました。すでに、絶版になってしまった絵本や、古いよい絵本も多く、どの本を手にとっても良い本と巡り合えるということは、子どたちにとっても本当に幸せなことだと思いました。
 その文庫活動で、お手伝いをしながら知り合った友人に絵本の読み聞かせやわらべうた、素話のすばらしさを教えていただきました。よ絵本は、声にのせて読むだけで本当に楽しく、子どものためというよりも、私自身が楽しいから読んでいたという方があっていました。そうして、小学校でのおはなし会のお手伝いをさせていただいたり、わらべうたの子育てサークルにまぜて頂いて、わが子と一緒にたのしみました。
 ある時、子どもたちと本やおはなしを楽しみながら、ふと、自分が母親に読んでもらった記憶が確かではないことに気が付きました。古くからのよい絵本を見るたび(これは、私が2歳の時からあったのに、私は知らなかったなあ)などと思ったことがありました。
 ところが、子どもたちを連れて帰省をしていたときのこと。子どもたちが久しぶりにあった母に「おばあちゃん、この絵本読んで」と、せがんで読んでもらっていました。この時、母が読んでいるのを聞いて(この声、この感じ、聞いたことがある。私、知っている)と、愕然としました。「私は、母にたくさんたくさん本を読んでもらっていた」と、懐かしい感覚が思い出されました。記憶にないほど小さい頃のことを耳が覚えていたのでした。この、満たされた幸せな感覚が、私の大事な礎になっていると思っています。母に聞くと、私が絵本を読んで欲しいとよくせがんでいたので読んでくれたのだそうです。当時は、とても綺麗だった記憶の絵本の挿絵が浮かんできたので、本を探してみました。すると、確かに赤や黄色や、綺麗な色がたくさんの挿絵だったのですが私の記憶ほど綺麗ではありませんでした。子どもの時に、お正月やクリスマスがとても特別で楽しみだったように、絵も、とても美しく目の前にあったんだなあと思いました。(子どもの時の心が満たされる経験の大切さを思います) 
 仕事に戻って4年目。煩雑に過ぎてしまいそうになる日々の中で、ふと、立ち止まっては、普通のおはなしおばさんとして子どもたちと絵本やおはなしを楽しんで行きたいことを忘れないようにしたい。と思いながら、細々とですが、はなたばのお手伝いをさせていただきたいと思います。

〈高崎恵子さん〉
 おはなし会の様子を少しお話いたします。図書館でのおはなし会ではいつも絨毯に座って聞いてもらっています。お母さんやおばあさん、時々お父さんもいらっしゃいますが、大人の膝の上で聞くような年齢のお子さんは、例えば「三びきのやぎのがらがらどん」の大きなトロルが出てくる怖い場面では、体を縮めて大人にすがるような行動をします。そんな時、一緒にいるお母さんはお子さんをやさしく抱きしめたりしています。そのうちおはなしが良い場面にくると、ほっとして、ニッコリしたり、お母さんと顔を見合わせて「よかったね」と小声でささやきあったりしています。また、この時お母さんは、子どもの体をさすったり、頭をなでたりしているのをよくみかけます。これは、子どもとお母さんに共感が生まれて「怖いよ お母さん」「そうね でも大丈夫よ」とか、ほっとする場面では「お母さん よかったね!」「よかったね」という言葉以上の心の交流が生まれていると感じています。そして、おはなしをしている私たちも、そのおはなしを通して共感し合っているのです。このような関係はとてもここちよく、安心します。先日のおはなし会でのこと。2歳くらいの女の子が「ぷうっ」「ぎらぎら」「ぱっちん」と真似て声に繰り返していました。このような反応は、おはなしを読んでいて楽しいことです。このくらいの年齢の子どもは特に擬音に反応します。このことを読み聞かせを始めて間もない、あるメンバーが体験を通してすばやく感じて得意の音楽で表現したり、おはなし会のための本選びの参考にしているようです。また、よく言われていることですが、小さい子どもほど信頼できる大人から本を読んでもらうことが大切なのだそうです。おはなし会という特別な場所で本を読んでもらう小さな子どもたちにとって、おはなしをしてくれる大人は信頼できる人なのかどうか重要なことになります。私はよく、おはなし会の始まる前もしくは、終わった後にお母さんがたと、ごあいさつをしたり、軽いお話しをします。その時「子どもが絶対の信服を置いているお母さんと親しくお話するおはなし会のおばさんは信頼できる」と認識してくれたらいいなあと思っています。そうすれば、おはなしを心から楽しんでもらえると思っています。
 読み聞かせについて、私と会の体験の話題提供をさせていただきました。ここから「ひとりで本を読む」という段階に移行していくにはどうしたらよいのでしょうか。このことについて、少し我が家の話題を出させていただきます。我が家には、21歳の男の子、19歳の女の子がおります。子どもたちがまだ小さいときは石巻の図書館の近くに住んでしましたので、毎日のように図書館に通いました。当時住んでいた家がボロ家だったので、冬はとても寒く、夏はとても暑くて図書館にいたほうが居心地が良かったという理由もありました。お陰で家のには、いつも図書館から借てきた絵本がありました。それからうちには、夫の子どもの頃の本が結構あってよく読まれていました。読み聞かせの勉強会などで先生方がよく、ご自分の子育て中にこんな絵本を仲立ちに楽しい会話があったのよとお話をされます。そんなことが、我が家にもありました。「うりこひめとあまんじゃく」をご存知でしょうか。これは、子どもの頃の夫の本です。あまんじゃくがおじいさん、おばあさんの留守に遠くの山からだんだん近づいてきて、うりこひめの家の戸を「とんとんとん うりこひめやあそぼうや」と声をかけてきます。このちょっと怖いドキドキ感が気に入って、いろんなときに使っていました。読んだ本のことでいろいろ会話をするのが普通になっていたので「ひとり読み」に移る時にも「この本はこんなことが書いてあって面白かったよ!」とその辺において置くといつの間にか子どもが読んでいました。我が家は、そんな感じでした。読書と言うと「イコール知識」そして、そこから連想するところは「頭の良い子」みたいな発想になりがちがしてなりません。家の子どもは、ごく普通の子に育ちましたが「人に対して、とても興味を持ち、社会に対して積極的に関わろうとする人間に育ってくれた」という点で満足しています。世の中の大人に対する子どもの信頼は、小さい頃の親に対する信頼を基礎に、広く他の人に対する愛情や信頼になっていくのではないかと、私の子育ての経験から感じています。大人への信頼という言葉で、思い出す絵本がありますので最後にご紹介いたします。「ひとまねこざる」シリーズとあなぐまの女の子フランシスが主人公の「おやすみなさいフランシス」のシリーズです。子育て中に読んだこの本に登場する大人はみんな、私自身が見習いたい大人ばかりでした。みなさんもぜひ読んでみてください。

〈阿部悦子さん〉
 読み聞かせのメンバーになって早3年が経とうとしている私ですが、ようやく最近になって読み聞かせの面白さ、そして奥の深さを知り始めてきました。図書館をはじめ、子育てサークルや保育所・幼稚園にもでかけ活動をさせていただいておりますが、どんなところでも、いつも子どもたちから勉強をさせてもらっていることを実感しています。先日、小学校の先生からおはなし会があるのを児童たちは4月ごろから首を長くして待っていてくれたとことを伺い子どもたちの心の片隅に、“おはなしをはなたばにして”届けさせて頂ける嬉しさで胸が一杯になりました。小学校では朝15分程の時間で読み聞かせをしていますが、子どもたちの心の活力になれたらいいなあと思います。
 私自身、長い年月を保育の現場で過ごしたにもかかわらず「心のエネルギー」となる“おはなしをはなたば”にして積極的にプレゼントをすることができませんでした。「保育室に山となって積んであった数々の絵本をどうして手に取らなかったのだろう」今深く悔やんでします。その中で、島の子どもたちと過ごした1年間は絵本や昔話をを積極的に取り入れ、昼寝の時間などには毎日のように聞かせました。人の話を落ち着いて聞くことができないAくん、ダダをこねているBちゃんもこの時ばかりは、じっと耳を傾けてくれるのです。ときには、子どもたちからの要望で、ゴレンジャーの創作話しもしたり、楽しさを共有しコミュニケーションが取ることができました。11人の子どもたちとは、それっきり逢っていませんが、今はどんな人に成長をしているのでしょうか?あの時代とは違って、世の中は忙しくそして、子どもの取り巻く環境はめまぐるしく変化してきています。安心して、外遊びのできない世の中になりつつあり、家の中でテレビ・ビデオ・ゲーム機の前に居座り仲間を必要としない世界に浸っています。私の孫も例外ではなく、我が家に遊びに来るときはゲームを持参です。そんな、孫たちに私はそっと、絵本の扉を開きスキンシップを図るのです。
 子どもは仲間と遊ぶことで、人と関わり合うことで成長していくものと思うのですが、それがかなわないものになってきている現代、だからこそ「子どもたちを絵本の世界に誘ってみませんか?」と提唱したいのです。絵本をメディアとして親子の絆を深め、人と関わり合う楽しさを知ることができたらステキですよね。テレビよりも、ゲームよりも、子どもの人生にきっと良い影響をもたらすものと信じています。


 田澤先生から助言
Q.親が、子どもが見ているテレビを消すのは、パワーが必要ですが、どうしたらよいでしょうか?
A,幼児期までは、「テレビの具合(体調)が悪くて、おねんね中だよ。ほら、テレビをさわってごらん。熱があるよ。
 小学生以上は、親の愛情と威厳を持ち、子どもとテレビの影響をよく話し合い、テレビを見る時の約束を決めましょう。
 

第三部パネルディスカッション

図書館でのおはなし会